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早期退職を考える人たちへ
早期退職が盛んな日本の製造業。去るか、残るか悩んでいる人たちへの参考として私の経験を伝えます。 左下「カテゴリ」を目次代わりにしています。
揺れます
 失業保険をもらいながら自分がやりたいこと。自分にできること。そ
して続けられることなどを考えながら過ごしてきました。そんなこと会
社辞める前に準備しておけよって思うかもしれませんが、でもそれはで
きなかったんです。

会社の中にいればその流れに沿った活動が求められます。たとえそれが
意味のないことのように思えてもある部分従わざるを得ません。サラリ
ーマン、それが中間管理職の仕事だろうとでも言われているかのように
そうしてしまいます。

意味のない、無駄な、まるで判っていないと思われるような方針や指示
に対してでもそれなりの反応は必要です。でも方針や指示が出ていれば
まだいいほうだったのかもしれません。無意味な領域にの中にも何とか
意味を見出す手段を考えようとしてもがきます。だれもがその葛藤の中
に押し込められているはずです。

そこから解き放たれて自由になりました。あんなこと、こんなこと沢山
の思いと希望をもって自由になりました。間もなく一年になりますが、
この思いと希望はいまだに持ち続けています。

でもその道程は決して直線ではなく、右に左に、上に下に、そして捻じ
れたりしました。いまだにそうです。目標に向かってまっしぐらに進ん
でいるわけでは決してありません。在職中に多少なりとも準備ができて
いればこの揺れは少なかったはずですが、そうだとしても現実の中でや
ってみれば予想もしていなかったことにぶつかるはずです。

それでもいまだに後悔はありません。もし収入だけに固執して会社に残
っていたらそれこそ心が壊れていたように思います。揺れていいのだと
思っています。揺れが大きいほど様々なことを経験します。それが残り
の人生の幅を広げてくれるんじゃないかと希望を持っています。

自活への希望をもってまずは10月の試験をクリアしなければ。やってみ
ようと思っても、やっているうちに無意味に思えてくることがあります。
こんなことやっても無駄だろうと。でもそれを繰り返していては何にも
残らないでしょう。やってみようと思ったことは結果がでるまでやる。

結構大変ですが、勇気をもって実行することがチャンスを逃さない秘訣
だと決めました。運は向こうからやってきます。追いかけると逃げてゆ
きます。やってくる運を逃さないよう、準備を続けようと思います。


自分の年表をつくってみませんか
 会社員でいた頃に培ってきたことと、趣味で培ってきたことを組み合
わせてなんとか雇われない仕事が見つけられないかとあがいています。
会社にいた頃はあちこちの職場を転々とし、自分が何屋だかわからない
場所にこの歳になって立っています。

でも「何屋」として自分自身の職業にできる人は極々限られているとも
思っています。役者、歌手、落語家とか。映画監督もその一人でしょう。
でも会社の中での仕事はそうはいきません。社内では「経理屋」とか呼
ばれていても生簀の外にでればただの事務職としか扱われないでしょう。

ハローワークや東京人材銀行といった再就職斡旋施設の求人条件を見る
につけ「○○屋」というのが実は買い叩かれているように感じてしまい
ます。一級建築士だって年収500万円くらいの募集しかありません。

いわゆる国家資格を持った人達でも個人としての応募価値は実は大きな
金額にはなりません。少し前に見た報道番組では弁護士資格をもった人
のうち年収が500万円以下が40%以上だとか。看板弁護士の持つ事務所
で俗に言う「イソ弁(居候弁護士)」はその程度の給与しかもらっていな
いのでしょうか。時間をかけ勉強してもその程度だとがっかりです。

でも組織の中でそれなりの期間活動してきた人たちには様々なノウハウ
や物事を把握、解決するための目線が備わっているはずです。こういう
ときはまずここから始めてみよう。とか、そんなときはあれとあれを天
秤にかけてからこうきめたほうが安全だとか。

自営業で、あるいはオーナーとして会社を経営している人たちは毎日こ
んな判断をしながら事業を継続させているはずです。継続しているのは
判断が間違っていなかったからです。というか下した判断を正解にする
よう活動したからでしょう。

ここがサラリーマンと大きく違うところだと思います。サラリーマンの
役職にいる人たちは権限を持ちその場での判断を下しますが、その結果
を正解に導く努力もしなければ、結果が悪くても責任を問われない仕組
みに守られています。

でも自分自身で会社を経営している人たちにそんなタコはいません。あ
たりまえです。自分の判断で会社は大きく動くのです。大企業と中小企
業の判りやすい違いです。

でも大企業も最初は零細企業からスタートし、黎明期の経営者は緊張感
高く商売だけでなく社内のエネルギーの強弱を感じていたはずです。鈍
感な奴は沈み、敏感な人は飛び上がりました。それはそうでしょう。

規模の大小を問わず、組織の中でその盛衰を目の当たりにしてきた人に
はその時々の経営者への評価があると思います。そしてその時々、自分
が何を行い、どんな成果を自分が感じたのか。会社の評価だけではあり
ません。人脈の拡大、視線の広がり、仕事への価値観の変化など社会人
としての器を大きくしてきているはずです。

年表を作ってみませんか。小学生の子供たちが社会科の教科書と一緒に
つかっている年表。何年に社会人になり、何年の何月からいつまでこん
な仕事をして、どんな仲間とあんな毎日を送っていた。きつかったけど
こんな成果があったんだ。とか。

時間の推移に伴い「所属」「上司」「仕事」「仲間」「自分への評価」
「自分が思う成果」「くそったれのこと」「家族のこと」「家を買った」
など人それぞれの切り口で年表にしてみてください。

自分が「イケてた頃」「いまいちだった頃」など様々見えてきます。
サラリーマンに甘んじているのなら忍耐こそ必要な能力だったのでしょ
うか。そんなはずはありません。

自分自身の人生を見直すためにこの年表と正直に向かい合うことが必要
です。「わたしは何がしたかったんだっけ」「わたしにはこんなことが
できるんだ」に答えを見つけることをはじめてください。



採用面接を受けてみました


 失業保険も間もなく終了することから最終的な仕事が始められるまで
すこし働いてみようかとインターネットの求人サイトに応募してみまし
た。それは電気工事の仕事で「日給」という記載があったのでこれは非
常勤でも働かせてくれるかもしれないと思ったからです。

木工を中心としたDIY工房設立を夢見て、快適で使いやすいリフォーム
を行うために必要な電気工事士の勉強をしてきました。10月5日に筆記
試験があり、実技試験は12月です。自己採点で筆記はなんとか合格域に
いるようなので実技試験に向けた練習用材料を買い集めてきました。

今回応募した会社はコンビニエンスストアなどの配線作業や店舗内電気
設備の修理、メンテナンスを行っている会社です。電気工事士の資格が
取れたとしても実務で行うには経験を必要とします。そんな目論見から
応募しました。

面接にあたり写真を撮ることを思い出しました。何年ぶりかでスーツを
着てネクタイしめて近くのコンビニエンスストア前に設置されている自
動証明写真撮影機に出かけてゆきました。料金は800円でした。

登録している就職支援会社からは履歴書用写真は新宿の伊勢丹か日本橋
の高島屋のスタジオで撮るようアドバイスされます。お見合い写真など
では有名な写真館らしいのですが証明写真でも2万円くらいかかります。

第一印象は写真からというのが支援会社の言い分ですが、ネット応募の
場合写真つき履歴書を提出するのは面接の場です。本人がいるんだから
正しく映っている写真ならそれで十分だろうと。もったいなので800円
にしました。きれいに撮れていたと思います。

応募した会社はなんと私が通っていたビルの向かいにありました。歩い
て10分程です。久しぶりのネクタイをしめ準備万端整えてちょうどいい
5分前に着くように自宅をでました。ところがすれ違った人の服装を見
て自分がベルトをしめていないことを発見しました。鞄は黒、靴も黒、
で?と思ったらベルトをしていなかったんです。

あわてて自宅に戻りベルトを手に飛び出しました。歩きながらベルトを
締めて会社に着いたのは1分前、汗だく、息切れの激しい状態で面接を
受けることになりました。

募集していた会社は正社員を求めていたのでした。現場の配線担当、営
業担当、事務職に分けた募集をしていたようです。私は「日給」に目を
奪われて応募したのでそれらのことは何もしりませんでした。

その上でこちらから一方的に条件を並べたてました。フルタイムの勤務
はできない。これは顧問契約を希望してくれている会社があるためです。
それから就業できる日は決まっていない。毎週1カ月先までの予定を提出
することで仕事をもらえるか。電気工事士の試験は受けたが合格するに
は12月の実技試験結果を待たないと判らない。応募した目的は現場の配
線作業スキルを身につけたかったから。などなど。

言うに事欠いて自分の都合ばかりまくしたてて、採用してほしいのかそ
れとも働いてやってもいいのかの境目もないような面談になってしまい
ました。でも先方は丁寧に対応してくださり今週中に希望が受け容れら
れるか否かを連絡してくれるとのことです。

若い人たちは将来の可能性に投資してもらえます。いま即戦力でなくと
も将来期待できる素養が感じてもらえれば採用されるでしょう。しかし
我々トシマのおじさんはそうはいきません。いま、何ができるんですか。
と値踏みされます。

だからこそ自分をさらけ出すことが必要です。きれいな写真撮って指導
されたように受け応えして、過大評価されて入社したことくらいその先
の人生を重くするものはないのではないでしょうか。身の丈で働くこと
こそ大切なことだと思います。

生簀をでたら自分を正しく評価しましょう。背伸びせず、臆せず、卑下
せず。自分自身をさらけ出してみませんか。

せっかく会社辞めて個人にもどったんだから。


会社を辞めて丸一年を過ごしました
 昨年の10月31日は会社を早期退職した日です。ちょうど丸一年が経過
しました。その間所得は一銭もありませんでしたが、雇用保険のおかげ
でなんとか生活することができました。会社都合の場合330日もの期間
支給されます。今日もハローワークに行き失業認定をして頂きましたが
企業求人への応募が規定回数の6回を超えていたため支給期間はさらに
30日延長され、都合360日間というすごいことになりました。これには
最後のひと月くらいの間にリクナビ乱れ打ちで件数を稼いだというちょ
っとしたいんちきも含まれています。

この一年を振り返ると、会社員でいた頃にはとても経験のできないこと
がたくさん起こりました。国民健康保険や国民年金への加入によって天
引きされていた金額の大きさをはじめて知りました。確定申告書の作成
で所得税、住民税のからくりもわかってきました。

このブログがきっかけで、年明けには雑誌に引用され読者が大幅に増え
ました。おかげで様々な方からのコメントを頂き、意見交換するなかで
自分自身の考えもずいぶん整理できました。2月には早期退職者を取材
していたテレビ局が我が家にきてロケしたり、フィナンシャルプランナ
ーの話を聞く機会を持ちました。

以前から興味のあった台東区の職人さんの職場を巡り本職の業と同時に
彼らの人となりに接し職人として生きてゆく人たちの仕事に対する思い
や職人ネットワークの存在とその役割などを垣間みることもありました。

自営業の準備だとして簿記も勉強してみました。まだ3級の腕前ですが
それでもかつて働いていた会社の決算書などを見ると「ひょっとすると
あんなこと、こんなことで数字を良く見せているんだろうなあ」などと
詮索したりすることくらいはできるようになりました。2級は来年2月が
試験です。

趣味のDIY拡大版のため電気工事士の勉強もやってみました。筆記を終
え12月の実技試験にむけ練習中です(まだ筆記合格通知すらもらってい
ないのに)。DIYアドバイザークラブというのにも参加しました。素人
ながら卓越した技をもつ大先輩たちとの交流は未だかつて経験したこと
のない緊張感があります。

在職中に担当していた取引先メーカーの海外工場支援活動をあらためて
整理し、手順などにまとめて参考書のページでも立ち上げられないかと
すこしずつ文章を書きはじめたりしています。大企業に振り回される中
小企業が対等に闘うためのちょっとしたノウハウになるかもしれません。

またサラリーマンやっていた31年間を振り返り、いつどんなことがあっ
かとか、そのときどんなことを考えたり、思ったりしたのかなど自分の
サラリーマン人生史を書き始めました。これは結構役に立ちます。以前
のブログでも触れましたが、イケてた時期、ダメだった時期、そのきっ
かけやリカバリーの仕方など。さまざま自分の姿が浮き彫りになってき
ます。

この時期にきて思うことは、この一年でやってきたことは多分自分には
どんな仕事ができるんだろう。どんな仕事だったら楽しく続けられるん
だろうということを行ったり来たりしながら確かめていたんだろうと思
います。

そして今日現在、私は3つの方向に同時に進んでゆくことに決めました。
得意なこと。やりたいこと。人に役立ちそうなこと。この3つです。

それぞれ作戦やスケジュールを立てなくてなりません。思いっきり発散
させる時期は終わりにしました。これから収束させていかなくてはなり
ません。その猶予期間を来年3月末までと決めました。力ずくでも自立
の芽を出させようと思います。

すこし自分を律する時期に入ったようです。そういえば宅浪していた時
も通学する学生の制服が冬服になったのを見て慌てて試験勉強を始めた
ことを思い出しました。人間変わることはないんですね。


くやしい思いをしました、まったく。
 今回はちょっと内容が薄いのですが、どこかにぶちまけないと悔しさ
が残ってしまうので勘弁してください。

趣味にしているDIY拡大のため電気工事士の資格取得を目指して勉強し
てきました。10月の筆記試験はなんとか合格し、今日が二次の実技試験
でした。問題は事前に開示されている13個の中から出題されるのでその
練習をしておけばいいというものです。ちゃんと準備すれば誰でも合格
できるようになっています。

その実技試験で大チョンボをやらかしてしまいました。まったく。

電線の接続に用いるコネクタがあるんですが、電線の被服を剥く量が正
しくないと危険です。短くてちゃんとはまっていなければ抜けてショー
トしてしまいます。また長すぎても銅線がコネクタの外にはみ出してや
っぱりショートしてしまいます。だからコネクタ含め接続部の被服剥き
の量は大切です。これを間違えると「一発不合格」です。それをやっち
まいました。

いつも練習に使っているものとは違うタイプのコネクタで、どれだけ剥
けばいいかが判らずコネクタの外側をじろじろ観察しました。剥く量が
どこかに表示されているはずなんです。樹脂が半透明の上、老眼の為か
それがよく見えませんでした。そこでいつも自宅で練習している通りに
剥いて差し込みました。

でもなんか銅線がはみ出しそうで、何回か外して短く切りなおしたりし
ました。でも結果的にそのコネクタが求めている剥き長さにできていま
せんでした。終了の合図の後、作業台の上を片づけながら作品に目をや
ると角度の違いからでしょうか、銅線剥きの量の指示が目に入ってきま
した。「あっちゃ~!」後の祭り。

くやしくて、くやしくて。試験会場から10分程の渋谷駅に向かう道々で
このチョンボをどう自分の中で処理したもんだか悶々としてしまいまし
た。問題を見る前に支給材料に不足がないかの確認をしますが、配布さ
れた材料を見ただけで13個中のどの問題なのか、作業順番はどうしよう
などすべての事が頭の中で動き始め、こいつは楽勝かも。と思っていた
のに何たる失態。

実は家に戻って練習に使っていたコネクタをあらためて調べてみたとこ
ろその線剥き自体も間違っていました。なんだ、最初からまちがってい
たんだ。がっかり。また来春に受験し直すことになりました。

じゃあこの際いきなり1級にしてみるか。なんて冗談が浮かぶようには
回復しました。半日かかりましたが。筆記試験は免除されるようなので
また電線をたくさん買い込んで練習に励むことにします。

しかし先月応募したJETROや大学の研究機関への非常勤職での落選以上
にこたえました。老眼のせいにはしたくないけど、でも見えにくくなっ
ているというのはもっと自覚しないといけないですね。見えないと勝手
な思い込みで判断してしまうことが多くなるんでしょう。聞こえにくい
ことも同様だと思います。

いい勉強をさせられました。見えなかったら見えるまで見ろよ。聞こえ
なかったら聞き返せよ。です。

しかし、くやしい。


ゆっくりとスタートを切りました
 昨年は雇用保険をもらいながら丸一年間の有給休暇を楽しみました。
支給日数は当初の330日に加え30日間の延長が認められたため丸々360日
間、満額での支給を受けられました。その時間は実に新鮮なもので、そ
して多くのことを気付かせてくれました。

3月末までと期間を決めて3つのことを試してみることにしました。これ
までは自分の中でさまざま考えをめぐらしてきましたが、年末から正に
ゆっくりとしたスタートを切りました。

まず自分にできることとして在職中に一貫して携わってきたものの作り
方を考える仕事。これを体系的にまとめて大企業のいじめに四苦八苦し
ている下請けの中小企業に向け現場づくりのやり方を指導する仕事への
取組みです。その教科書を書き始めました。

ふたつ目は自分のやりたいこと。これは木工工房を開くこと。これまで
趣味の域を出ていなかった部分です。造りたいものに対してより適切な
材料や手法を選択するためにはもっともっと多くの知識が必要でした。
塗料や接着剤といった化学製品の種類や特徴、建築・家具用の金物、自
由な形状を作ったり型どったりする塑形材、木工・金工用工具などなど。

これまでのやり方はできるだけ自分の手元にある工具や刃物で加工でき
る方法を考えながら進めてきました。その方が費用もかからないし加工
も安心です。出来栄えもそこそこ予想できます。でもそれだけでは新し
い領域に入っていけません。

以前からいちどやってみたかったホームセンターでのアルバイトを始め
ました。年末から週4日間、一日5時間だけですが大手ホビーショップの
商品補充のバイトです。同じような用途なのに夥しい種類の製品があふ
れていることにあらためてびっくりします。でもこれは楽しい。工房を
立ち上げる際にどのようなものを揃えておけばどのような守備範囲が持
てるかよく判ります。

そしてなにか役に立つこと。これはこのブログとして始めた私の経験を
伝えることです。早期退職やサラリーマンからの卒業にまつわる様々な
思いだけでなく、実務で扱ってきたものづくりに対する考えやその実践
結果などもまとめあげてゆこうと思います。

自分が会社内の流木として所属してきた部署は上は研究所から下は購買
まで様々でした(上下関係は主観的なものです。念のため)が、スタート
が生産技術だったためか、仕事に対峙する目線はいつもどうやって造る
のがいいんだろうか、何をコントロールすれば安定して生産できるのだ
ろうかというものでした。これは無理やり工学の分野に当てはめると生
産管理工学や生産システム工学といったものに含まれるものだと思いま
すが、図書館で閲覧する教科書とはかけ離れた意見が私の中にあります。

それなりに長い時間を生きてきた人間が何か始めようとすると、やはり
その経験をだれかに伝えて活用してもらえたらということが動機になる
ようです。

就職支援会社や登録してある就活サイトからさまざまな募集案件が送ら
れてきますが、できることならサラリーマンには戻りたくない。せっか
く生簀からでて外海を味わったのだから、そこでやっていきたいと強く
思うようになりました。

自分の評価者が決められている、自ら上司を選べない。より大きな仕事
を担ったり、多くの収入を得ようとするなら上司の意向に沿って芸をし
なければならない。他に道はない。これがマリンパークのイルカでしょ
う。でも自分を評価してくれる人を自分で探してあるく。これが自立だ
と思います。世の中には多くの作家や多くのアーティストが活躍してい
ます。それぞれがそれぞれの評価者を持っています。その優劣を比較す
ることに意味はありません。

そこに向かってゆっくりとスタートを切りました。


たのしかった受験勉強
 2月26日(月)に都立高校の入学試験が行われ、娘の受験生生活が終わ
りました。昨年秋から「もうすこしがんばらないとなあ」ということに
話がまとまり一緒に勉強してきました。

多くの公立中学の生徒たちは都立高校の滑り止めとして私立を受験する
のですが、東京には「併願推薦」という制度をもった私立高校がたくさ
んあります。受験生のためのセーフティーネットのような制度で、中学
校の成績が私立高校の定める水準に達していれば、入試前に内定をくれ
るというものです。もちろん入学試験は受けなければなりませんが事前
に内定をもらっているので不合格になることはありません。

さまざまな学校の文化祭を見に行ったり、説明会に参加して、ここなら
よさそうだなあと決めた学校の推薦条件に通信簿の合計が2ポイント足
りなかったんです。

自分の位置をあらためて自覚したようでスイッチが入り、こっちの誘い
に乗ってきました。そして二学期の期末試験までに2ポイントアップを
目標とした勉強を一緒に始めました。中学2年から塾には通っていまし
たがきれいにノート整理することに一生懸命で、課題への理解がいま一
つだったようです。

いずれにせよ10月頃から塾のない日の夜や休みの日は過去の模擬試験問
題を復習する時間を持ちました。食堂のテーブルに向かい合って一緒に
問題を解く競争をします。理科の運動や電磁気、光などの部分では簡単
な実験装置をつくって計算結果とどのくらい合うかなどをたしかめたり
しました。

天体の問題につまづくと「きみは今でも天動説か」などとチャチャを入
れてからかったり、地球儀と照明を使って遊んでみたり。入社まもなく
買ってずっと倉庫で眠っていたオシロスコープをひっぱり出してきてコ
イルと磁石の作用をたしかめたり。

名作映画のDVDから英語の台詞を憶えたりもしました。いや、実に楽し
い時間を過ごしました。家族と一緒に過ごす時間は本当に楽しい。

昨年3月に私と同様に早期退職した女性は、毎日子供と一緒にいられる
のがとても楽しいと連絡をくれました。私の娘と同い年の娘さんがいる
のです。やっぱり高校受験に向けて一緒に勉強していたのかもしれませ
ん。

娘の苦悩の期間は無事終わりました。今日は学校の期末試験も終わって
解放感全開です。学校から戻ってソファーにどてっと寝っ転がって録画
した映画を見ていました。じつに楽しそうです。

反対に私はすこし淋しくなりました。そして3月末と決めた自立の期限
に向けて自分の勉強に集中しなくてはなりません。

でも本当にいい時期に十分な時間が持てたことはラッキーでした。本当
にいいタイミングで退職したんだなあとつくづく思います。

私にもまだまだ運が残っているんだと感じています。


アルバイトで気づかされる
 昨年末からはじめた憧れのアルバイト。週4日間だけの気楽なもので
すが、そうばっかりではありませんでした。

夥しい種類の商品が所狭しと並ぶ店頭、その倉庫たるや言うに及びませ
ん。狭いスペースに猛烈な種類の商品がどっと詰め込むようにして置か
れています。

当日納品された荷物は専属の方が売り場内の配置別にカゴに振り分けて
おいてくれます。それを持って売り場の所定の棚に並べてゆくのが主な
仕事です。簡単な作業ですが、難しい。似たり寄ったりの品物がぞろり
と並ぶなか、どこに置けばいいのか、どこに掛ければいいのか。バーコ
ードの下4桁を調べながら陳列してゆきます。

どこに展示してあるのか判らない商品もたくさんあります。店内をうろ
つきながら探して歩きます。

その間にもお客さんたちから声を掛けられ、商品の場所や在庫の問い合
わせ。そしてこんなことしたいんだけどやり方といい商品を教えて欲し
いといった相談を受けます。商品補充は滞り、先輩社員さん達から罵声
が浴びせられます。

「何日たってんだよ!もういい加減仕事おぼえろよ!」「あんたは普通
の人の半分しか仕事してないじゃん。朝から今まで何やった?」といっ
た調子です。

納品数が多く、店頭が一杯で展示できないときに「これどこにストック
しておけばいいですか」と質問すればまた「もういい加減ししてくださ
いよ。倉庫を一巡して何がどこにあるか把握してなきゃ仕事できないで
しょ。お客さんからの在庫問い合わせだって探しに行けないじゃん」と
なります。

そんな。何千点あるか判らないほどの商品の場所を店頭も倉庫もそんな
簡単に把握できないですよ。無理な話です。まあ、もの憶えがいいほう
ではないので多少の負い目は持っていますが、そりゃないだろうと。

展示方法が間違っていたり、店頭で欠品している商品の補充を命令され
たときなど、慌てるのと緊張するのとで「はい!」と間髪いれずに返事
をしてしまいます。でも倉庫に取りに行って「えっと、何色を出すんだ
っけ」といった始末。店頭に戻って確かめようとするところを見つかっ
て「あのさあ、いい加減手ぶらで行き来するのやめてくれないかなあ」
です。

もともとちゃきちゃき仕事するのが好きで、またそうでなくちゃいけな
いという思いを強くもっていました。江戸っ子はそうでなくちゃいけね
えや、ってなもんです。得意なものならそれでいいですが不得意なのに
安請け合いしちゃう。そして悪循環に陥る。そんな思いを持ちました。

一呼吸おいて返事しよう。文句言われてもむやみに謝るのではなく一拍
おいてから反応するようにすると冷静に対応できるようになりました。
それ、私がやったんじゃないので判りません、とか、仕事の順番考えろ
との指摘に、この商品も店頭から欠品してたんですが、などと多少コミ
ュニケーションがかみ合うようになりました。

この「一拍まち」を心がけるようにしました。心の中で「ん?」と思う
ほんのコンマ何秒の時間ですが、頭の中がスッと透明になります。そし
て本来の自分の言葉で反応できるようになります。

面接とか交渉とか、つい請けをねらって発言しそうな場面ではこの一拍
を思い出してください。緊張が解け、自分の見解が自分の言葉でてて来
るようになります。

今の私はこのリズムを染みこませようと、歩きながら「一拍、一拍」と
念じるようにしています。


すこしづつ回りはじめました
 再就職を回避してなんとか自立の道がないかと、でも実はのんびりと
構えてきました。3月末を期限と決め、自立できるか、再就職せざるを
得ないかの結論をだすことにしていました。

結果からすると自立できるだけの環境を整えることはできなかったもの
の、やっぱり再就職はしたくないと消去法で結論をだしました。

でもこの本音に忠実っていうのはやはりいいように思います。少しずつ
まわり始めたように感じます。

退社して1年半になるので就職支援会社での在籍も1年半になります。
担当のコンサルタントが交代し、もういいかげん就職先を決めてくださ
という暗黙のメッセージが送られてきます。そこでちょっと工夫してみ
ました。

私が所属する支援会社はソニー在職中にソニーの費用で契約してくれた
支援会社です。無料の紹介会社とは異なり、就職がまとまってはじめて
売上げが立つという成功報酬型ではなく、登録時点で入会金を支払うこ
とで斡旋を請け負う会社です。入会金は100万円とも言われています。

なので1年半にわたりのうのうと在籍していた私は斡旋会社にとっては
お荷物そのものです。再就職したくないとかわがまま言ってばかりいな
いで、さっさと行けるところに行っちゃってくださいよ。そう言いたく
てしかたがなかったのでしょう。

そこで私は自立できる仕事を探してくれるよう依頼してみました。求人
内容を単に紹介してくれるだけなら無料で登録できる**ナビとかいく
らでもあります。でも前金受け取って本人の役に立つ働き方を斡旋する
のが仕事なら、私の希望する仕事を探してもらいたい。

これを素直に新しく私の担当になった若いコンサルタントに伝えました。
○○という会社があなたのキャリアに合った求人をしていますが応募し
ませんか、と情報をくれます。たしかにその仕事は私が求めている職種
に違いないが、再就職はしたくないから非常勤の顧問契約でいいか確認
してほしいと要求しちゃうのです。ひとつの会社に縛られたくない。

オマエ仕事欲しくないのか、と言われそうですが私が欲しい仕事はそう
なんだからしょうがない。

紹介会社から提示された再就職の案件に対しこの要求をだしてみました。
すると、なんと役員さんが面談に出向いてきてくれたのです。仕事には
大変興味があるがフルタイムでやるものでもなさそう。コーチとしてプ
レーヤーとの接点を持ちながら、自分自身の時間も持ちたい。面談では
そのように伝えました。非常勤を希望する話は担当コンサルタントを通
じて事前に伝えてはあったのです。執行役の方は面談が終わったときに
「話していて楽しかった」と言ってくれました。

また会社の先輩からの紹介でベンチャー企業が発案した機器の量産化を
サポートする話がきました。商品仕様の具体化から、生産までのプロセ
スを提案し、設計仕様、サービス体制、コンプライアンス、設計者や加
工業者の手配などの支援を仕事として請け負いました。大企業が行うプ
ロセスの何分の一程かの費用でこのパスを通す事が私の仕事です。

なんかワクワクします。自分には想像とおりの手順で仕事ができるんだ
ろうか。結果は依頼者含め満足のゆくものにできるんだろうか。楽しみ
です。やり甲斐があります。

うまくいったら、大企業の1/10の費用で量産化するプロセスの指導
を仕事に加えてみようかとも思ったりします。

会社の仕事でなく、自分自身の仕事を日常にする生活が少しずつ回り始
めたかと思うと楽しくなります。もっともっとあちらこちらに手を広げ
てみたいと思うようになります。


開業しました
 独立か再就職か。収入を考えながら実のところ心がゆれていましたが
やっぱり本音には勝てず開業することにしました。5月1日付の開業申請
を税務署と都税事務所に行いました。

これで契約していた再就職支援会社とも縁が切れました。1年半以上も
居座ってたおやじを追い出して担当のコンサルタントはポイントを稼い
だことと思います。私もハッピー、コンサルタントもハッピー。これで
私と契約した企業をハッピーな結果に導ければみんながハッピーです。

開業申請自体は何ら私たちの活動を拘束するものではありません。収入
の確定申告をする際、給与所得だったのかそうでなかったのかの記入欄
が違うだけです。

開業するということは商店街に店を構える八百屋さんや魚屋さんになる
ということです。わたしの場合は「ものの造りかたを一緒に考えよう」
屋さんになりました。

開業するとその収入は事業所得という扱いになるんだそうです。そして
得られた収入から控除できる額を除いた金額、課税所得に対し事業税が
課せられます。

法人にすれば自分たちの給料は経費として扱うことができて会社の収入
から控除できます。でも個人事業は自分の給料も事業税の対象になりま
す。もちろん得られた収入に対し所得税も住民税も年金も保健料も負担
しているにも拘わらず、さらに事業税を支払わなくてはならないのです。

税の重複だと窓口の担当者に伝えてみたものの明確な説明はもらえませ
んでした。ただ個人事業税は5%なのに対し、法人税は均等割り7万円に
加えて利益に対し最低でも税率20%以上が課せられます。

どっちが得なんだろうと考えたりもしましたが、いずれにせよ独立した
ことが大切なので税金との上手な付き合い方はゆっくり考えることにし
なんでもかんでも領収書を集めることだけ始めました。

そして何より意識をかえるのは自分が「独立した」と公に登録したこと
でしょう。時給900円のホビーショップのアルバイトも今までとは全く
違って見えてきます。

お金の為に時間を提供するのではなく、やりたいことの為に時間を割く。
サラリーマンのころは「今日は会社」「今日は休み」「明日から連休」
だったものが、いまでは一日の中でONとOFFが頭の中で行ったり来たり
します。つまり仕事は頭の中で行われていて私の体も時間も拘束しませ
ん。自分自身の使い方は自由です。

昨年勉強した簿記も役に立ってくれます。営業内容に「DIY」も書いた
ので、知り合いに依頼されたちょっとした大工仕事も「営業収入」にな
ります。ということは大工道具を買う費用は全部経費として処理できる
ことになります。これはいい。

早期退職し18カ月間の休暇を経てようやく視界が澄んできました。
やりたいことで生活して行ける。
やりたいことなら苦にならない。
そういう生き方もあるんだと実感できます。

外洋を泳ぎ自らの力で餌を捕える。そんな憧れていた状況が身近に感じ
られるようになってきました。いまはまだ近場の湾内を泳いでいる程度
ですが、来年そして再来年と海域を広げ、いずれは大きな海洋を自由に
泳ぎ回れるようになりたいと思います。