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早期退職を考える人たちへ
早期退職が盛んな日本の製造業。去るか、残るか悩んでいる人たちへの参考として私の経験を伝えます。 左下「カテゴリ」を目次代わりにしています。
体験に勝るものなし
 夏休みを前にして大学院では博士課程秋入学の選考がはじまりまし
た。私が在籍する大学では成績優秀者は修士課程2年の秋に博士課程
へ進学します。そのコースに乗る彼らはやはり他に増して実験現場に
多く滞在しているように思えます。

しかし彼らをさらに上回る、日常的に常時実験現場に貼り付いて作業
しているのはいずれも留学生達です。

研究室は多くの留学生を迎え入れ、多いときには10名を優に超えます。
スイス、イタリア、中国、タイ、インドネシア等々、様々な国からの
留学生らは私達スタッフの部屋に並べられた机の島にに所狭しと二人
でひとつの机を使うように犇いて過ごします。

彼らの母国はそれぞれですがみな自由に英語で話し合います。研究の
内容の相談も、そして発表もすべて英語です。リハーサルでは英語の
間違いなども指摘しあって切磋琢磨しています。

これに対し日本人学生が実験と向き合う時間は何分の一もないように
感じます。インターネットで他者論文を探り、なんかいい方法はない
ものかと思案し、その取捨選択に集中しているようにも思えます。

自ら現象と向き合い、悩み、考察を加えながら思考錯誤する留学生に
対し日本人学生は他者が既に行った結果から正解を取捨選択している
ように見えて仕方がありません。

博士課程に進む学生にはこの傾向は少なく、実験室で見かける頻度も
高いのですが、それでも留学生らの取り組みとは大分違います。

在籍する研究室はとても恵まれていて測定装置や試薬、ガス、消耗品
などとても潤沢に用意されています。整った環境の中で少しでも多く
の経験をしたいと望む留学生が一生懸命なのは十分に理解できます。

でも恵まれた環境におかれた日本人学生たちはそう考えていないよう
です。ひょっとするどころがあたりまえのように就職するための資格
のようにしか考えていないのではないでしょうか。

この状況はまずい。企業が学生をそうさせていることは疑いがありま
せんが、これはまずい。日本の科学はどんどん立ち遅れてゆきます。

体験による「感覚」があればインターネットで知識を探し活用する事
ができます。みなさんもそう感じるのではないですか。でも「感覚」
を持たない人達が知識を手にしてもそれを知恵に変えて実用に用いる
ことはできません。

学生だけでなく研究職が参考にする「論文」。くせものです。書いて
いる本人がよく知ってるはずですが学術論文に記載されている内容は
「特異点」だけです。普遍性はまずないと思って間違いありません。

それは論文の著者が決め付けていた性質が証明された(と思われる)
データだけを採用して結論しているからです。主張したい案と異な
るデータは失敗実験として葬られてしまいます。

せっかく得られた事実が不都合なため蓋をしてなかったものにする。
その結果が論文として発表され、掲載された科学誌のグレードに基い
て執筆者の業績となり、次の職位への切符になります。

さらに問題はこれらの実験やデータは研究者ではなく実験担当者によ
って採取されていて、論文執筆者は手を用いていないことです。報告
された結果を取捨選択し、都合のよいものをならべて論文にするわけ
です。

STAP細胞で大騒ぎになりました。論文通りに実験しても再現しないと。
ほとんどの論文に書かれている実験結果は再現できません。当然の事
としてその記載内容は「たまたま」著者の意向にそった結果が選別さ
れてのことだからです。STAP細胞問題はあまりに大きなインパクトが
あったため叩かれ、学位剥奪まで発展しました。

でも私感ですがほとんどの学術論文に記載された結果は再現不能では
ないのではないでしょうか。興味をもたれることもないので誰も追随
しないためその是非が判断されていなだけのことのように思います。

話は変わりますが娘が北海道の大学に在籍しています。このキャンパ
スに通う学生のほぼ100%が一人暮らしのためでしょうか、大学なの
に担任の先生がいます。生活面までをサポートする体制をとっている
ためと思います。

先日2年になった娘の担任との面談に行ってきました。冒頭担任の先生
から「娘さんの就学状況について特にご報告するような懸念はありま
せんが、ご両親からなにかございますか」と言われ、つい「せっかく
北海道に行ったんだから、座学はほどほどで構わないけど実習だけは
徹底的にやってこい、と伝えています」と答えたところ「娘さんはご
両親のことばを忠実に実行に移しています」と微笑みながらの返事が
返ってきました。

ちょっと複雑な気分になりましたが妻とはまずまずうまくいってると
帰りのバスの中で話していました。

知識より知恵を生み出す体験。娘も漁業や農業のアルバイトや学校の
農作、醸造など様々な「実務」と向き合って、知恵を生み出す力を養
ってくれているようで楽しみです。

私も商品開発、試作に全力で取り組みはじめました。


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やっぱり製品開発
投稿が大分滞っていました。ブログを書き始めた頃は仕事もはっきり
せず、次になにやろうか、どうしようかと思いを巡らしていた頃でし
た。

不安な気持ちを紛らわす意味もあって様々な手続きの仕組みを調べた
り、浅草の工房を巡って刺激を受けることに積極的でした。これらの
緊張感が様々な思いを起こさせ、ブログ記事にするエネルギーになっ
ていたように感じます。

大学の仕事も3年目に入り、いい面、悪い面、様々見えてきました。
何から何まで自由にやらせてもらっていてこれほど贅沢は働き方は他
にはありようもないと思えます。

まず時間が自由です。教授と初対面の時勤務時間について質問したら
「それは好きにやっていただいて結構です」と。決まりがないとずる
ずるといってしまうことは自明なのでこちらから9時~5時半と申告
しました。

設計や実験に必要な機材、材料の購入も自由です。勝手に出入り業者
に依頼したり、ネットショップに自分専用のアカウントを作り気侭に
発注します。もちろん支払いは教授に行きます。

しょっちゅう外出します。私は展示会が好きで、仕事に関係する食品
衛生や医療機器関連に留まらず、設計に参考になりそうな機械要素展
やAI展、中小企業アイデア満載の食品加工機械展などにも出かけて
ゆきます。交通費は大学が負担に負担してもらっています。

頭の中を煮詰めることなく、頻繁にリセット、デフラグして更の状態
を作り出すことにとても役立ちます。それぞれの業界の人達との会話
からすこし世の中がわかったような気になります。

これほど恵まれた仕事ですが、唯一決定的に欠けているのが面子です。
私以外の面々はすべて博士号をもった研究者か学生達です。学生から
のリターンを期待することはありませんが、研究者達の関心は如何に
高尚な論文を作成するかという点に焦点が絞られているので仕事上の
共同従事者ではありません。

会社にいるときも、独立後のコンサルタントのときも職場のメンバー
は常に目的を共有するチームメートでした。メンバーとの技術的課題
でのスパーリングは自分の力を大いに磨いてくれました。いい面子が
揃うことの大切さはこのスパーリングの質を高めるためのものだと思
います。

でもまた企業に所属し方針に則った作業を忖度しながら担ってゆく気
にはなれません。そもそもかつてまさに自由闊達だったあのソニーの
中でも十分に浮いていたんですから。これから雇ってくれる中小企業
でまともに活躍できるはずもありません。

やっぱり自分で製品を作り商売を始めなければいけないんだと考える
ようになりました。退職後間もない頃はそんな思いでいくつかの製品
をスケッチしたり図面化したりしていました。工房の職人さんに話を
聴いてあるいたのもそんな思いが強かったからです。

幸い現在の仕事は時間的な自由度は十分に確保されています。残業は
皆無だし、週末は確実に自分の時間として使えます。

いままでは「いつかやってみよう」と店晒しにしていた案を具体化し
てゆくことに決めました。

面白そうだと感じた電磁デバイスがあってその試作を開始しました。
製作には概ね5つの工程があり、様々なネットショップを漁って材料
を集め、工程表をつくり、治具も作りました。

そうしたところ最初の工程であっさり失敗。次の工程に進むことがで
きませんでした。これはいける。ハードルがあるからこそ製品に特異
性が生まれるんだろうと。

頭の中が煮詰まらないように、このデバイスと並行して木工作品ネタ
や生活雑貨ネタ、インテリアネタなど棚上げしてたスケッチを片っ端
からまずモノとして実現させてみることにしました。

いちど思ったことはやっぱりやってみよう。そんな気持ちです。もし
作品が売れて、それが問題起こしたらどうしようとか。緊張感も高ま
ってきます。

会社の仕事で追い込まれ、首の後ろがクーっと冷たくなる緊張感を楽
しんだことがありました。自分は今、試されていると感じる瞬間です。

うまく製品化の目処がたった暁にはご紹介させて頂きますので、ぜひ
ご覧頂きたいと思います。ホームページ作成の勉強も始めなくては。


ご都合主義
 同じ人でも立場が変わると発言をコロコロ変える。安倍政権を引き
合いに出すまでもなく日常生活の中でも様々直面します。会社の上司
の言動にいたっては辟易することもしばしばでしょう。

朝令暮改ということばがあります。ルールがちょいちょい変わること
を批判したことばですが、アサヒビール社長からNHK会長になられ
た福地茂雄さんは企業経営においては朝礼暮改は遅い、ソニーの井深
さんは朝礼昼改だった、と話されていました。

私が講演会の席で最前列に名札を置いて座っていたのでそう話を振っ
たのでしょう。

余談ですがその後の懇親会で瓶ビールでのつぎかたを教わりました。
コップの真ん中から落とし泡を立て、その真ん中からゆっくりと注ぎ
入れるときめの細かな泡を頂いた美しいグラスが出来上がります。

会社の仕事は時々刻々変化する市場に対応するよう動いていますから
朝礼暮改、朝礼昼改がおきることは確かに必然でしょう。でもそれは
日々変化する売上げや金利、為替といった外部環境への対応を求めら
れる職種での必然です。

仕事も私的日常生活もこの外部への対応に費やされる部分はその一部
でしかありません。活動の殆どはある方針に基づき日々積み上げられ
てゆく作業です。

先週の土曜日、駅近くの歩道に駐輪した母子がいました。子供は小学
1年生くらいの女の子で髪をおさげにした賢そうな子でした。彼女が
母親に向かって「ここ駐輪しちゃいけないんじゃない」とでも言った
のでしょう。お母さんは「ちょっとの間だからいいの」との声が聞こ
えました。

その後駅の改札でも一緒になったとき母親は「もし叱られちゃったら
ごめんなさいしようね」と言い訳していましたがホームに降りたとき
女の子はべそをかいていました。不誠実な母親に失望したんでしょう
か。せっかくここまで上手に育ってきたのに母親が壊しにかかってる。
いままでは保育園や幼稚園、家庭教師が中心となって育ててきたのか
とも思いました。

このご都合主義、社会における方便として便利な場面もあるでしょう
が、エンジニアや研究者といった自然科学と対峙する分野にある者が
この至極便利な主義に汚染されると改ざん、捏造といった、本来真理
を求めるはずの活動の真逆に向かって進むことになります。

先日の山中伸弥さんの研究室で起きた論文捏造もこの雇用環境が原因
として挙げられていました。研究機関ではたらく非常勤の研究者は最長
10年と任期が切られていて、新しい職場を得るための手段として論文の
質と数が求められているというのです。

サラリーマン時代、上司のこのご都合主義、それもこそこそと卑屈な
ご都合主義にうんざりさせられました。堂々と「俺は自分を優先する」
などとどこかの大統領にもうんざりしますがまだ公言してるだけまし
かもって思ってしまいます。

なにからなにまで杓子定規に進めることはできないことは自明ですが
このご都合主義と自然科学への姿勢を使い分ける事は難しく、どうし
ても楽な方向に居場所が移っていってしまいがちです。
これは気をつけなくちゃいけない。

あの程度の大統領に一票入れざるを得ない周囲のご都合主義が不愉快
です。

みなさんの周りのご都合主義、どんなことが起きていますか。
どこまでそれに付き合っていますか。


60歳を迎えた初詣で思ったこと
あけましておめでとうございます。遅ればせながらで、もう年があら
たまってすでに2週間も経ってしまいました。

毎年元日には家族で川崎大師に初詣にゆきます。あらたな年を迎えて
の決意と成就を願うというほどのことではなく、賽銭箱の前で手を合
わせ頭の中を開放し空っぽにして白紙の状態から一年を始めるという
くらいのお参りです。

でも今年はちょっとちがいました。

昨年10月に満60歳を迎えました。早期退職せずに踏ん張って会社に残
っていた場合の定年です。同期入社の友人たちからも定年退職の連絡
をいくつかもらいました。

もし5年前に退職せず、辛抱して定年まで「勤め上げた」私が今年の
初詣でどんなことを考えていたかと想像します。たぶん短気を起こさ
ずにいたことへのねぎらいや、人並みに60歳まで企業の中で働いたと
いった、自分を抑えて過ごしてきた期間への言い訳だったんだろうと
想像できます。

でも現実はその対極にあるものでした。退職してから5年間、様々な
仕事を経験し自分なりのポジションを明確に捉えるにいたりました。
特に昨年はそれがはっきりと自覚できた年でした。

全く想像だにできなかった大学の研究活動も当初の予定を大幅に短縮
して実用化への道筋を整えることができました。既に京都のメーカー
で製品化に向けた事業計画がスタートしています。

一方で電子書籍として出版した「ちゃんとした現場づくり」が大阪商
工会議所主催のセミナー講師の仕事を運んできてくれました。90人程
の参加者によるアンケートでも2/3の人達が最高点をつけてくれました。
この結果を受けて東京で開催される定期セミナー講師のオファーも頂
くことができました。でもこちらは大学との共存が難しく、体験セミ
ナーを2回担当し、本セミナーは辞退しました。とても残念です。

自分のやり方、進め方はどうも間違っていなかったらしい。そう思え
るようになりました。

大学という入り江に住み始め、それなりの結果と評価で居心地もよく
なり、体が鈍りかけてた時に喝を入れるかのようにセミナーの仕事が
めぐってきました。

今年からもっともっと入り江を出て泳ぎ回ることにします。いままで
とおりのやり方で十分泳ぎ回ることができそう。その確信を得て新年
のスタートを切ることができました。

あの時辞めていて本当によかった。その実感を再確認した初詣でした。


犬も歩けば棒にあたる
まだ娘が小さかった頃家族で一緒によく散歩やサイクリングに出かけ
ました。途中思いがけない場所でイベントやお祭りをやっていて予定
にない楽しみ方ができると「今日も犬棒だったね」っていってつぎの
散歩につなげてゆきました。

先週末に行った大阪でのセミナーが思いのほか好評だったようです。
斡旋してくれたコンサルティングファームが企画中の定例セミナー講
師として契約したいと連絡をくれました。これはうれしい。
まさに犬棒です。

10月に4回の体験セミナーを担当し、翌月からは週一くらいのペー
スで90分の講習会を行うことになるようです。どんな話をしようか。
参加者からはどんな話が聞けるのか。たぶん相当な速度で知識と考え
が膨張してゆくと思うととても楽しみです。

今回の場合、私は毎日学校に通っていただけでなんら宣伝活動を行っ
ていたわけではないのですが、その私に代わってAmazonで販売してい
る電子書籍が世の中を歩き回っていてくれていました。

大阪のオファーもイベントを請け負ったコンサルティングファームが
この本を見つけてくれたことがきっかけでした。

本をKindleサーバーにアップしたのがおととしの10月8日だったの
でちょうど2年間、私に代わって世の中をうろついてくれていたこと
になります。ありがとう。

ちょうど遠くの惑星にむけ打ち出した宇宙船が目的の星に辿り着き新
しい画像やデータを送り始めたように、私の本もその仕事を始めてく
れました。

自分の考えを本としてまとめ、全く費用のかからない電子書籍として
出版しておくことはとても有意義です。自分のスタンスも驚くほど明
確になります。

自分の本にインターネット上を散歩させる。
皆さんもぜひ試してみてください。
私ももう一匹増やしたくなってきました。


外洋に向けて泳ぎ始めました
気づいたら前回の投稿からすでに2ヶ月が経っていました。ブログを
書く頻度が低いことは日常に対する感覚が鈍感になっている表れだと
思います。入り江に棲みはじめてから既に1年、穏やかな環境の中で
のんびりとしすぎたようです。

大学の中はとても居心地がよく、自分の優先順位で自分なりの活動が
できます。若い学生たちとの交流もとても新鮮味があります。自分の
娘がことしから大学生になり、1人暮らししながらの大学生活を送っ
ていることも彼らへの関心が深まる理由の一つでしょう。

でも、やっぱりというか、すこしずつ物足りなさも感じ始めていまし
た。3年を目処にスタートした産業界への橋渡しも思いのほかうまく
進み、間もなく企業による商品化を目指した活動がはじまることにな
りました。簡単に言うと契約は続いていますが当初の仕事は終わっち
ゃったんです。

緊張感が緩みまた外洋の潮の流れが恋しくなったみたいです。そろそ
ろ入り江を出てまた海流に乗って全身をつかって激しく泳いで見たい。
そんな気分になりました。

関西地方の商工会議所主催の、東南アジアへの進出を目論む企業に向
けたセミナーのスピーカーにエントリーし採用されました。30分と
いう短い時間の中でローカルメンバーの特性と現場マネージメントの
話をします。

IoTとかIndustrie4.0とかいった上滑りな話じゃなくて、現地従業員
の息遣いが感じられるような話をしたいと思っています。

この機会を活かし、また外洋にでるきっかけをつかもうとしているの
です。

ちょっと前のブログにも書いたように思いますが、一度自営業を経験
するとなかなか与えられた仕事だけで満足することは難しいのかも知
れません。次から次へと刺激と広がりを強く求め行動するようになり
ました。

大学との契約時点での課題を終え、最近は学生たちの実験ばらつきを
抑える実験の自動化を自分自身の勝手なテーマとして取組んでいます。
昔取った杵柄で手元にあるバラック材を使って様々な装置を手作りし
提供しています。結構評判いいです。

東南アジアの生産現場も大学の研究現場もなんら違いはありません。
この両極端に思える二つの現場を両手の手玉にとってみようと風呂敷
を広げています。


早期退職者と就活中の学生
今年に入ってから研究室の学生のうち何人かを殆ど見かけなくなりま
した。来春に卒業を控えた学生が就職活動時期に入ったのです。早い
学生はもう3月頃には研究室から姿を消しました。そして今なお東奔
西走している学生もいます。

見ていて本当に可哀想です。研究を一時中断してひたすら説明会とか
面接に出かけていきます。そして採用、不採用が決まる6月以降まで
不安な長い時間を背負って過ごしています。

経団連は公平を期すためとか、学生の本来の勉強に支障がでないよう
協定しているとしていますが実情は闇の青田刈りが横行しているのを
見てみぬふり。学生は協定外の裏情報集めに奔走し1日も早く身の安
全を確保しようともがきます。

私達のような早期退職者、経験者であれば何ができるのか、何をやっ
てきたのかなど様々確認すべき具体的な項目に○、×をつけて判定し
いわゆる即戦力として採用翌日から力になれるかどうかで値踏みされ
ます。

しかし彼らは学生です。未だ社会人になっていないのです。彼らに求
められるのは過去ではなく将来でしょう。学生として優秀だったから
といって仕事のできる社員になれる訳ではありません。私が在籍して
いた会社にも東大、早慶をはじめ旧帝大のそれも大学院卒業者がわん
さかいました。でもその出来映えはそれこそピンキリです。

そもそも面接してから合否を決めるまでなぜ日数が必要なのでしょう。
学生として真面目に取り組んできたかは書類選考で判るはず。その上
で面接して将来性を見極めるのです。

将来に期待が持てる人物かどうかは面接した本人にしかわかりません。
面接後の報告を聞いたところで彼らの持つ将来性について優劣をつける
ことなどできないのです。直接話をした当事者にしか判断できません。

それなのに合否連絡まで何週間も何ヶ月もかかる。学生の精神的負担
は計り知れません。

面接官には合否を判断する権限が与えられていないのです。判断でき
ない担当者が面接しているのです。そんな人相手に一生懸命自己紹介
したってなんになるでしょう。そんな面接官しか擁しない会社に入っ
て果たして満足の行く仕事が、生活ができるでしょうか。

就活中の学生諸君、面接官をよく審査しなさい。その人間を採用面接
の担当に据えた会社の水準を見抜きなさい。皆さんが試されていると
同時に皆さんが会社を査定しなさい。自分の人生の一部を預けるに足
る資質がその会社に備わっていると感じられるのか。

会社員としての立場を捨てた早期退職者からみると今の学生の就職生
活はとても不憫でなりません。


娘が一人暮らしをはじめます
 一人娘が来週から一人暮らしを始めます。それも北海道のさらに果
てで。全国の学生たちの多くが東京の大学目指してがんばっている中、
なにもわざわざこっちから最果ての地に行かなくてもよさそうなもの
だろうと。でもそれが本人の選択肢には入っていました。

寂しい。ここ数日は集中力がありません。なにかボーっとして過ごす
時間が多くを占めているように感じます。

すでに娘さんを嫁に出された、あるいは就職で独立しているなど子供
と一緒の生活に区切りをつけている方もいるでしょう。このブログを
読んでいただいている皆さん達はそういった年齢にあるように思いま
す。

そんなのいずれ来るんだから当たり前のこと。そのとおりです。でも
今回の件ではっきりわかったことは、娘からはかり知れない恩恵を与
えてもらっていたということでした。

一人娘なので不自由なく育ててきたと思っていました。必要なものは
与え、よかれと思われることは躊躇なく経験させてきました。十分に
与えてきたと思っていたのです。

でも、まあ、たかだか国内のどこかで一人暮らししながら大学に通う
という、そのために自宅をでて生活をするという当り前のことでしょ
うけれどもその喪失感がこれほどこたえるとは思いませんでした。

与えたものより、与えてもらってきたもののほうがはるかに大きかっ
たことに気づかされました。

今日、大学の研究室の研究者が別の大学に移る挨拶に来てくれました。
奥様と生まれて4ヶ月の娘さんを紹介してくれました。抱っこさせて
もらいながら「いいなあ、まだ当分一緒にいられるね」って思わず口
から出てしまいました。

この気持ちは私より母親である妻のほうがよっぽど強いに決まってい
ます。自分で産んでいるわけだし、少なくとも私より10ヶ月長く娘
と一緒に暮らしているわけですから。

Give and Givenなどと外から目線で書いてきましたが、内から目線で
もその真なることを痛感させられました。


Give and Given その2
Give and Takeにはお互い様といった意味に加え「やってやったんだ
から何か返せよ」といったニュアンスを感じます。あまり好きな言葉
ではありません。これは私達の日々の活動に対するものではなく交渉
における姿勢を表したことばでしょう。Takeできそうな量に見合った
分だけGiveする。まずTakeありきの関係です。

新しいアメリカの大統領はまさにこれ。安倍総理は個人的信頼関係と
か寝ぼけたこと言ってますが、そんなもの有るわけない。Takeできる
と思うから相手しているだけです。ようするにカモられてる。オバマ
さんとは真逆のこすっからい人間です。

GiveしたことでGivenされるものは結果です。結果とはそれが出るま
でに行ってきた活動に対する審判です。あたりまえですが結果は終わ
ってみなければわかりません。事前に結果を手にする事はできません。
結果は与えられるものだからです。

結果がすべて。結果で評価する。結果が出なければ意味がない。その
とおりです。でも結果は終わってみなければ判らないので誰も結果を
担保することはできません。

私達がやっているのは希望する結果が得られるように計画する、実行
する、努力するよりほかないのです。結果は与えられるのです。

業績が予定を下回ったので粉飾した会社がありました。燃費が目標に
届かなかったのでインチキした会社がありました。結果が伴わなけれ
ば評価されない。だからウソでごまかす。

これは現場サイドの良識の問題ではなく、マネージメントが持つ典型
的な病巣です。腐敗といってもいい。

担当者は目標に向けた事業計画を作成し承認を得ます。時間と予算が
決まります。これは「希望する結果をもたらすであろう最善の手順」
と認められたわけです。でもその結果が期待を下回ったとき、担当が
責任を負わせる。これ間違っていませんか。手を抜いたんでしょうか。

もちろん個々の担当者は時々刻々適正な判断をしながら進める責任を
負っています。でも担当者個々の時々の判断が不用意だったのか計画
そのものに瑕疵があったのか。

マネージメントの仕事はこの「結果に向けた最善の策」を立案承認す
ることです。「やり方は任せるよ、結果だけ出せばいいから」なんて
上司は不要でしょう。そんな無能な上司に振り回されていませんか。

結果がでるまえにTakeできるのならそんな楽なことはありません。そ
れらは「裏口入学」「賄賂」「買収」といった金銭で買い取ったもの
にほかなりません。

希望する結果を得るためにはそのプロセスをデザインすることと全力
で進めることの両輪が揃ってはじめてその土俵に乗ることができます。
私達にできることはこれだけです。それでも結果は判りません。

目標に向けて自分の力をGiveする。でも結果を自らTakeすることはで
きない。結果はGivenです。これを受け容れる覚悟が自分を強くします。

受験シーズン真っ盛りの今、受験生を抱える家庭はピリピリしている
でしょう。我が家も一人抱えて、インフルエンザが猛威を振るう中で
母親は食事に神経を尖らせています。幸い誰一人風邪すらひかず健康
そのものです。

入学試験の結果もまさにGivenです。その日までどのようなプロセスで
学力をつけてきたのか、その手順を使ってどれだけ脳を鍛えてきたか。
その過程が審判を受けるわけです。

最善と考える手順を決め、全力でやる。結果を受け容れる。これ基本。
そしてこれができない人の下では働かないことです。


Give and Given
「Give and Take」はよく使われることばですが今回テーマにしたの
は「Give and Given」です。私の造語で「結果は与えられるもの」を
意味しています。昨年行った講演会で使った言葉ですがとても気に入
ってしまい最近よく使っています。

我が家には大学受験生が一人おります。センター試験も終わりいよい
よ個別の大学でのテストが始まりました。本人は緊張を悟られまいと
振舞っているようですが日常の言葉遣いや仕草にその「緊張するまい
ぞ」という緊張感があふれ出ています。

試験を受ける本人かそれ以上に母親が緊張しています。ピリピリ感が
押し寄せてきます。猛威をふるうインフルエンザに罹らないようにし
ないといけない。試験当日のお弁当は食べて楽しく、その上眠くなら
ない献立にしないといけない。そんな使命感が伝わってきます。

試験問題が解けるかどうか、当日の体調や心の持ちように左右される
でしょうが結果を支配するのは入試問題を解く力がついていたかです。
力をつけるために過ごしてきた時間とその間の作戦そして本人の遂行
に対する審判が下る訳です。

結果とはそれに向かって進めてきた活動に対する審判です。立案した
作戦とその遂行に対する判定です。頑張りが足りなければ期待する結
果は得られませんし、いくら多くの時間をつぎ込んでも作戦が的外れ
では合格できようもありません。この双方が整って始めてよい結果が
もたらされるわけです。

娘の結果がどのような形でもたらされるかわかりませんが、それらは
娘が大学入試を意識してから以降の活動に対する審判としてもたらさ
れるものです。

結果は直接取りに行くことのできるものではありません。普遍的に与
えられるものです。結果にコミットするなんて宣伝を耳にすることが
ありますが、結果に責任を負うことはできても結果を事前に担保する
ことなんかできません。

マージャンをはじめ賭け事で「勝ち逃げは許さねえ」とか「俺は勝つ
までやめねえんだよ」といった台詞が使われることがありますがこれ
は勝利にコミットしてるのでもなんでもなく、不都合な結果は受容れ
ないと宣言しているだけのことです。最近どっかで大統領になった男
の台詞と一緒です。

会社の業績が悪かった。それは事業計画が幼稚だったか社員がサボっ
たかのどちらかです。前者は経営者の責任、後者は現場管理職の責任
です。結果を受容れてはじめて反省があり進歩があります。

「どうやるかは君に任せるよ、結果だけだしてくれればいいから」?
そんな無能な上司に使われていませんか。仕事を担当者に任せて結果
責任もとらせる。そんな管理職は不要です。いること自体が害です。
ましてや結果を隠蔽し、都合いいように捏造するに到っては言語道断。

Give and TakeはTakeすることを前提にGiveする行為です。Takeでき
そうもなければGiveしない。商売や交渉における姿勢を表したもので
しょう。私達の日常の活動はそうじゃない。得られるかどうか判らな
いけど、それに向かって一生懸命にがんばる。

正しいと思われる作戦を一生懸命考え、その遂行に全力を尽くす。そ
して結果を受容れる。「結果」とはそういう意味のことばでしょう。

このことは引き続き考えてゆきたいと思います。もう一回書きます。