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早期退職を考える人たちへ
早期退職が盛んな日本の製造業。去るか、残るか悩んでいる人たちへの参考として私の経験を伝えます。 左下「カテゴリ」を目次代わりにしています。
犬も歩けば棒にあたる
まだ娘が小さかった頃家族で一緒によく散歩やサイクリングに出かけ
ました。途中思いがけない場所でイベントやお祭りをやっていて予定
にない楽しみ方ができると「今日も犬棒だったね」っていってつぎの
散歩につなげてゆきました。

先週末に行った大阪でのセミナーが思いのほか好評だったようです。
斡旋してくれたコンサルティングファームが企画中の定例セミナー講
師として契約したいと連絡をくれました。これはうれしい。
まさに犬棒です。

10月に4回の体験セミナーを担当し、翌月からは週一くらいのペー
スで90分の講習会を行うことになるようです。どんな話をしようか。
参加者からはどんな話が聞けるのか。たぶん相当な速度で知識と考え
が膨張してゆくと思うととても楽しみです。

今回の場合、私は毎日学校に通っていただけでなんら宣伝活動を行っ
ていたわけではないのですが、その私に代わってAmazonで販売してい
る電子書籍が世の中を歩き回っていてくれていました。

大阪のオファーもイベントを請け負ったコンサルティングファームが
この本を見つけてくれたことがきっかけでした。

本をKindleサーバーにアップしたのがおととしの10月8日だったの
でちょうど2年間、私に代わって世の中をうろついてくれていたこと
になります。ありがとう。

ちょうど遠くの惑星にむけ打ち出した宇宙船が目的の星に辿り着き新
しい画像やデータを送り始めたように、私の本もその仕事を始めてく
れました。

自分の考えを本としてまとめ、全く費用のかからない電子書籍として
出版しておくことはとても有意義です。自分のスタンスも驚くほど明
確になります。

自分の本にインターネット上を散歩させる。
皆さんもぜひ試してみてください。
私ももう一匹増やしたくなってきました。


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外洋に向けて泳ぎ始めました
気づいたら前回の投稿からすでに2ヶ月が経っていました。ブログを
書く頻度が低いことは日常に対する感覚が鈍感になっている表れだと
思います。入り江に棲みはじめてから既に1年、穏やかな環境の中で
のんびりとしすぎたようです。

大学の中はとても居心地がよく、自分の優先順位で自分なりの活動が
できます。若い学生たちとの交流もとても新鮮味があります。自分の
娘がことしから大学生になり、1人暮らししながらの大学生活を送っ
ていることも彼らへの関心が深まる理由の一つでしょう。

でも、やっぱりというか、すこしずつ物足りなさも感じ始めていまし
た。3年を目処にスタートした産業界への橋渡しも思いのほかうまく
進み、間もなく企業による商品化を目指した活動がはじまることにな
りました。簡単に言うと契約は続いていますが当初の仕事は終わっち
ゃったんです。

緊張感が緩みまた外洋の潮の流れが恋しくなったみたいです。そろそ
ろ入り江を出てまた海流に乗って全身をつかって激しく泳いで見たい。
そんな気分になりました。

関西地方の商工会議所主催の、東南アジアへの進出を目論む企業に向
けたセミナーのスピーカーにエントリーし採用されました。30分と
いう短い時間の中でローカルメンバーの特性と現場マネージメントの
話をします。

IoTとかIndustrie4.0とかいった上滑りな話じゃなくて、現地従業員
の息遣いが感じられるような話をしたいと思っています。

この機会を活かし、また外洋にでるきっかけをつかもうとしているの
です。

ちょっと前のブログにも書いたように思いますが、一度自営業を経験
するとなかなか与えられた仕事だけで満足することは難しいのかも知
れません。次から次へと刺激と広がりを強く求め行動するようになり
ました。

大学との契約時点での課題を終え、最近は学生たちの実験ばらつきを
抑える実験の自動化を自分自身の勝手なテーマとして取組んでいます。
昔取った杵柄で手元にあるバラック材を使って様々な装置を手作りし
提供しています。結構評判いいです。

東南アジアの生産現場も大学の研究現場もなんら違いはありません。
この両極端に思える二つの現場を両手の手玉にとってみようと風呂敷
を広げています。


早期退職者と就活中の学生
今年に入ってから研究室の学生のうち何人かを殆ど見かけなくなりま
した。来春に卒業を控えた学生が就職活動時期に入ったのです。早い
学生はもう3月頃には研究室から姿を消しました。そして今なお東奔
西走している学生もいます。

見ていて本当に可哀想です。研究を一時中断してひたすら説明会とか
面接に出かけていきます。そして採用、不採用が決まる6月以降まで
不安な長い時間を背負って過ごしています。

経団連は公平を期すためとか、学生の本来の勉強に支障がでないよう
協定しているとしていますが実情は闇の青田刈りが横行しているのを
見てみぬふり。学生は協定外の裏情報集めに奔走し1日も早く身の安
全を確保しようともがきます。

私達のような早期退職者、経験者であれば何ができるのか、何をやっ
てきたのかなど様々確認すべき具体的な項目に○、×をつけて判定し
いわゆる即戦力として採用翌日から力になれるかどうかで値踏みされ
ます。

しかし彼らは学生です。未だ社会人になっていないのです。彼らに求
められるのは過去ではなく将来でしょう。学生として優秀だったから
といって仕事のできる社員になれる訳ではありません。私が在籍して
いた会社にも東大、早慶をはじめ旧帝大のそれも大学院卒業者がわん
さかいました。でもその出来映えはそれこそピンキリです。

そもそも面接してから合否を決めるまでなぜ日数が必要なのでしょう。
学生として真面目に取り組んできたかは書類選考で判るはず。その上
で面接して将来性を見極めるのです。

将来に期待が持てる人物かどうかは面接した本人にしかわかりません。
面接後の報告を聞いたところで彼らの持つ将来性について優劣をつける
ことなどできないのです。直接話をした当事者にしか判断できません。

それなのに合否連絡まで何週間も何ヶ月もかかる。学生の精神的負担
は計り知れません。

面接官には合否を判断する権限が与えられていないのです。判断でき
ない担当者が面接しているのです。そんな人相手に一生懸命自己紹介
したってなんになるでしょう。そんな面接官しか擁しない会社に入っ
て果たして満足の行く仕事が、生活ができるでしょうか。

就活中の学生諸君、面接官をよく審査しなさい。その人間を採用面接
の担当に据えた会社の水準を見抜きなさい。皆さんが試されていると
同時に皆さんが会社を査定しなさい。自分の人生の一部を預けるに足
る資質がその会社に備わっていると感じられるのか。

会社員としての立場を捨てた早期退職者からみると今の学生の就職生
活はとても不憫でなりません。


娘が一人暮らしをはじめます
 一人娘が来週から一人暮らしを始めます。それも北海道のさらに果
てで。全国の学生たちの多くが東京の大学目指してがんばっている中、
なにもわざわざこっちから最果ての地に行かなくてもよさそうなもの
だろうと。でもそれが本人の選択肢には入っていました。

寂しい。ここ数日は集中力がありません。なにかボーっとして過ごす
時間が多くを占めているように感じます。

すでに娘さんを嫁に出された、あるいは就職で独立しているなど子供
と一緒の生活に区切りをつけている方もいるでしょう。このブログを
読んでいただいている皆さん達はそういった年齢にあるように思いま
す。

そんなのいずれ来るんだから当たり前のこと。そのとおりです。でも
今回の件ではっきりわかったことは、娘からはかり知れない恩恵を与
えてもらっていたということでした。

一人娘なので不自由なく育ててきたと思っていました。必要なものは
与え、よかれと思われることは躊躇なく経験させてきました。十分に
与えてきたと思っていたのです。

でも、まあ、たかだか国内のどこかで一人暮らししながら大学に通う
という、そのために自宅をでて生活をするという当り前のことでしょ
うけれどもその喪失感がこれほどこたえるとは思いませんでした。

与えたものより、与えてもらってきたもののほうがはるかに大きかっ
たことに気づかされました。

今日、大学の研究室の研究者が別の大学に移る挨拶に来てくれました。
奥様と生まれて4ヶ月の娘さんを紹介してくれました。抱っこさせて
もらいながら「いいなあ、まだ当分一緒にいられるね」って思わず口
から出てしまいました。

この気持ちは私より母親である妻のほうがよっぽど強いに決まってい
ます。自分で産んでいるわけだし、少なくとも私より10ヶ月長く娘
と一緒に暮らしているわけですから。

Give and Givenなどと外から目線で書いてきましたが、内から目線で
もその真なることを痛感させられました。


Give and Given その2
Give and Takeにはお互い様といった意味に加え「やってやったんだ
から何か返せよ」といったニュアンスを感じます。あまり好きな言葉
ではありません。これは私達の日々の活動に対するものではなく交渉
における姿勢を表したことばでしょう。Takeできそうな量に見合った
分だけGiveする。まずTakeありきの関係です。

新しいアメリカの大統領はまさにこれ。安倍総理は個人的信頼関係と
か寝ぼけたこと言ってますが、そんなもの有るわけない。Takeできる
と思うから相手しているだけです。ようするにカモられてる。オバマ
さんとは真逆のこすっからい人間です。

GiveしたことでGivenされるものは結果です。結果とはそれが出るま
でに行ってきた活動に対する審判です。あたりまえですが結果は終わ
ってみなければわかりません。事前に結果を手にする事はできません。
結果は与えられるものだからです。

結果がすべて。結果で評価する。結果が出なければ意味がない。その
とおりです。でも結果は終わってみなければ判らないので誰も結果を
担保することはできません。

私達がやっているのは希望する結果が得られるように計画する、実行
する、努力するよりほかないのです。結果は与えられるのです。

業績が予定を下回ったので粉飾した会社がありました。燃費が目標に
届かなかったのでインチキした会社がありました。結果が伴わなけれ
ば評価されない。だからウソでごまかす。

これは現場サイドの良識の問題ではなく、マネージメントが持つ典型
的な病巣です。腐敗といってもいい。

担当者は目標に向けた事業計画を作成し承認を得ます。時間と予算が
決まります。これは「希望する結果をもたらすであろう最善の手順」
と認められたわけです。でもその結果が期待を下回ったとき、担当が
責任を負わせる。これ間違っていませんか。手を抜いたんでしょうか。

もちろん個々の担当者は時々刻々適正な判断をしながら進める責任を
負っています。でも担当者個々の時々の判断が不用意だったのか計画
そのものに瑕疵があったのか。

マネージメントの仕事はこの「結果に向けた最善の策」を立案承認す
ることです。「やり方は任せるよ、結果だけ出せばいいから」なんて
上司は不要でしょう。そんな無能な上司に振り回されていませんか。

結果がでるまえにTakeできるのならそんな楽なことはありません。そ
れらは「裏口入学」「賄賂」「買収」といった金銭で買い取ったもの
にほかなりません。

希望する結果を得るためにはそのプロセスをデザインすることと全力
で進めることの両輪が揃ってはじめてその土俵に乗ることができます。
私達にできることはこれだけです。それでも結果は判りません。

目標に向けて自分の力をGiveする。でも結果を自らTakeすることはで
きない。結果はGivenです。これを受け容れる覚悟が自分を強くします。

受験シーズン真っ盛りの今、受験生を抱える家庭はピリピリしている
でしょう。我が家も一人抱えて、インフルエンザが猛威を振るう中で
母親は食事に神経を尖らせています。幸い誰一人風邪すらひかず健康
そのものです。

入学試験の結果もまさにGivenです。その日までどのようなプロセスで
学力をつけてきたのか、その手順を使ってどれだけ脳を鍛えてきたか。
その過程が審判を受けるわけです。

最善と考える手順を決め、全力でやる。結果を受け容れる。これ基本。
そしてこれができない人の下では働かないことです。


Give and Given
「Give and Take」はよく使われることばですが今回テーマにしたの
は「Give and Given」です。私の造語で「結果は与えられるもの」を
意味しています。昨年行った講演会で使った言葉ですがとても気に入
ってしまい最近よく使っています。

我が家には大学受験生が一人おります。センター試験も終わりいよい
よ個別の大学でのテストが始まりました。本人は緊張を悟られまいと
振舞っているようですが日常の言葉遣いや仕草にその「緊張するまい
ぞ」という緊張感があふれ出ています。

試験を受ける本人かそれ以上に母親が緊張しています。ピリピリ感が
押し寄せてきます。猛威をふるうインフルエンザに罹らないようにし
ないといけない。試験当日のお弁当は食べて楽しく、その上眠くなら
ない献立にしないといけない。そんな使命感が伝わってきます。

試験問題が解けるかどうか、当日の体調や心の持ちように左右される
でしょうが結果を支配するのは入試問題を解く力がついていたかです。
力をつけるために過ごしてきた時間とその間の作戦そして本人の遂行
に対する審判が下る訳です。

結果とはそれに向かって進めてきた活動に対する審判です。立案した
作戦とその遂行に対する判定です。頑張りが足りなければ期待する結
果は得られませんし、いくら多くの時間をつぎ込んでも作戦が的外れ
では合格できようもありません。この双方が整って始めてよい結果が
もたらされるわけです。

娘の結果がどのような形でもたらされるかわかりませんが、それらは
娘が大学入試を意識してから以降の活動に対する審判としてもたらさ
れるものです。

結果は直接取りに行くことのできるものではありません。普遍的に与
えられるものです。結果にコミットするなんて宣伝を耳にすることが
ありますが、結果に責任を負うことはできても結果を事前に担保する
ことなんかできません。

マージャンをはじめ賭け事で「勝ち逃げは許さねえ」とか「俺は勝つ
までやめねえんだよ」といった台詞が使われることがありますがこれ
は勝利にコミットしてるのでもなんでもなく、不都合な結果は受容れ
ないと宣言しているだけのことです。最近どっかで大統領になった男
の台詞と一緒です。

会社の業績が悪かった。それは事業計画が幼稚だったか社員がサボっ
たかのどちらかです。前者は経営者の責任、後者は現場管理職の責任
です。結果を受容れてはじめて反省があり進歩があります。

「どうやるかは君に任せるよ、結果だけだしてくれればいいから」?
そんな無能な上司に使われていませんか。仕事を担当者に任せて結果
責任もとらせる。そんな管理職は不要です。いること自体が害です。
ましてや結果を隠蔽し、都合いいように捏造するに到っては言語道断。

Give and TakeはTakeすることを前提にGiveする行為です。Takeでき
そうもなければGiveしない。商売や交渉における姿勢を表したもので
しょう。私達の日常の活動はそうじゃない。得られるかどうか判らな
いけど、それに向かって一生懸命にがんばる。

正しいと思われる作戦を一生懸命考え、その遂行に全力を尽くす。そ
して結果を受容れる。「結果」とはそういう意味のことばでしょう。

このことは引き続き考えてゆきたいと思います。もう一回書きます。


共鳴できる仲間
楽しく意見交換できる仲間と働いていたい。お互い切磋琢磨しあえる
中間とのチームでありたい。時には意見がぶつかり口論に発展する事
があっても少し時間を置くとそれはボクシングのスパーリング、視野
と考えを広げるためのトレーニングと感じられる相手。自分を磨いて
ゆくために必要なパートナーです。

そんな中間を持っていますか。もし自分の上司がスパーリングパート
ナーとして存在してくれているならそれはとても恵まれた状況です。
指示を出す上司とそれを受ける部下が喧々諤々意見を交換する様子は
理想的な組織と思えます。

かつて私が入社した頃の輝いていたソニーという会社はまさに経営者
同士がスパーリングをしながら前に前に進めていっていました。私の
大好きな社史に残されている写真があります。井深大さんと盛田昭夫
さんが社服を着て腕相撲をしながら笑っている白黒の写真です。

この二人の天才がお互いに自分の力をぶつけ合いスパーリングしなが
ら道を見出しすすめてきたんだろうと思います。

流木になり会社にいたときも辞めたあとも様々な職場、業界の人たち
と仕事してきました。いまは大学の研究室といういままで全く接点の
なかった私にとって「異次元の業界」で働いていますがそのいわゆる
モチベーションをもたらしてくれるのは私を指導してくれる若い研究
者や実験室にいる親子ほどの歳の差のある学生達です。

携わっている仕事の中味以上に、仕事を共有する面子に育てられます。
私のようになんら専門分野を持たない現場あがりにとって仕事は中味
より面子です。面子が揃っていればどんな仕事も楽しくできる。

職場の面子と共鳴できればどんな仕事でも楽しくできる。
そう思います。

いまの職場も、ひとつ前のホームセンターでのパートの仕事も、タイ
や中国でのコンサルタントの仕事のときも面子には恵まれていたと感
じています。そうでない人もいましたが、それは距離をおけばいい事。
そんな自由も独立すればこそ。

仕事は面子が一番。

もうじきサラリーマン時代の中間との恒例の新年会があります。自分
の会社員としてのフランチャイズ生産技術とはかけ離れた光ディスク
研究所時代の仲間です。仕事はさっぱりだったけど面子は最高だった。
その仲間と退職後も交友関係が続いていることがなによりうれしい。

仕事は面子です。いまの研究室も面子に恵まれて楽しく働けています。

選べなかったはずの上司、同僚。
あきらめずに共鳴できる面子を見つけてください。
わたしはもっともっと人生を楽しくするため、これからも共鳴できる
面子を増やしていきます。


恒例の正月散歩
おめでとうございます。また新しい年がはじまりました。今年は還暦
の年で、昨年の社会人35年に続き干支も一巡することになります。

もうすっかり正月気分の抜けてしまった方もいるかもしれませんが私
は昨日6日(金)が仕事始めで、来週は成人の日に続き福澤諭吉先生の
誕生記念日が続きもう一回正月休みが回ってきたようなスタートです。

研究室での仕事も大分勝手が判ってきて面白くなってきました。実験
結果をグラフ化し「大分再現性の高い装置になってきました」などと
報告できるようになってきましたが、研究者たちの目はごまかされま
せん。グラフのほんのわずかな歪みを見て「まだ何か居ますね、この
部分の膨らみは○○が溶液中に含まれている可能性を感じさせます」
などと指摘を受けます。ちょうど医師がレントゲン写真を見ながら僅
かな異常を発見する、あの観察眼です。彼らは相当深いところまでを
見通していることが伝わってきます。

泳いでいる入り江は俯瞰すると狭く見えますが、相当に深いことを知
らされます。少しずつ深いところまで進み、新たな発見をする。この
面白さを感じています。

それでも尚、入り江の中をゆっくりと旋回しながら徐々に深度を高め
てゆく泳ぎだけではなく、広いところをスピードを上げ跳ねるように
泳ぐ時間も欲しい。そんな思いに駆られます。

今年は4日に恒例のロングウォーキングに出かけました。娘が大学受
験を控えているので今回は一人旅です。自宅近くの「品川宿」を出発
点に旧東海道を北上し日本橋を越えて浅草までのいつものルートです。
途中話題の築地に寄り浅草の手前ではかっぱ橋に寄ったりとジグザグ
に進み、およそ5時間の散歩となりました。

その間だれと話すわけでもなく、ただ行き交う人たちを見て勝手な事
を思ったり、仕事始めで神社に駆り出され参拝しているサラリーマン
たちを見て様々な感想を持ったりの時間です。

この時間が私の頭の中を広げてくれます。入り江から出てどこを回ろ
うかとか、どのくらいの頻度で外を泳ごうかとか、どんな餌を見つけ
たいのかなどなど脈絡なく想像を巡らせます。その中には実は入り江
の中の深みを覗いて見たいという気持ちも混ざっています。

何一つ具体的な課題を持たず、ただ漫然とあたりを見回しながら歩き
回る。脳を大解放して軽くする、そんな時間でした。楽しかった。

ことしもまた白紙の一年が始まりました。年末にどんな絵が描きあが
っているか楽しみです。


入り江を泳ぐ気分
大学の研究室で働きはじめてもう四ヶ月半が過ぎました。仕事自体も
面白いし、極めて自由な働き方ができているし、学生や研究者らとの
交流も一つひとつが新鮮な視点を与えてくれます。職場としては何ひ
とつストレスを感じない理想郷です。その上生活するには十分な収入
を与えてくれます。

にもかかわらず何となく物足りなさを感じます。ぜいたくな話ですが
ほんとうです。

自営業で過ごした三年間は収入は不安定でしたがいつも次の仕事を生
み出そうと思いをめぐらせていました。バイトやパートで繋いだ期間
もありましたが、いつも遠い先の働き方や生活に焦点があたっていた
ように思います。

外海で餌が採れなくなった時期に今回の仕事の話が届きエントリーし
ました。大学の研究員であることに家族が安心しています。これなに
よりのご褒美です。

研究室での仕事は会社と違いいついつまでにどうだとか、毎週、毎日
進捗が管理され尻を叩かれるということもありません。それぞれが独
自のテーマを抱え、自分で答えを見出す作業が繰り返されます。その
点いまのところまずまずの進みが得られているように感じられて十分
満足のゆく日々を送ることができています。ま、こういったうぬぼれ
が大事なんです。

でもなんか欠けているものがあるようで、ときどき陰がよぎります。
最近になってその正体がわかってきました。海を泳いでいる気持ちが
足りないのです。自分で餌をとっている感覚が小さいのです。仕事は
自分で考え実行し結果を見て次に進むという主体性が重んじられてい
ますから、やらされている感は全くないのです。でも自営業者として
顧問先の会社経営者と向き合っていたときの独特の緊張感が希薄です。

プールで泳いでいるとき、調子がいいと両手、両足に大きな水の抵抗
を感じます。その分速く進みます。調子がわるいと軽く回ってしまい
25m泳ぐのにストロークが多くなります。なんかこれと同じみたい。

自分で獲物に狙いをつけ、それを追ってゆく。その手応えがすくない
のだと気づきました。もっと研究分野の電気化学を勉強して深みを知
るか、並行して別の獲物を見つけるかしないといけないです。自営業
をしていた人が店をたたんだ後、なかなかサラリーマンになじめない
のもわかります。

いちど囲いのない場所で泳いだ経験をもつと、たとえ入り江でも狭く
感じてしまうのかもしれません。あるいは波が穏やかで刺激が少ない
のかもしれません。

幸い残業と休日出勤が慢性化しているような時間に追われる職場では
ないので新たなテーマを併せ持つことは十分にできます。贅沢な境遇
ですが潮目に乗ってあちこち流れてゆくとこういった穏やかな日々も
あるんだなあと思います。

これまでのように海外工場に出張ってゆくような仕事を並行させるこ
とはできませんから週末や帰宅後の時間をつかってのテーマ。やはり
製品開発でしょうか。木工でも機械・電気工作、2冊目の本でもいい。

台東区の職人さん工房を訪ね歩いたときのように犬も歩けば棒にあた
るだろうとあちこち歩き回る時間を持つことにしました。下戸に戻っ
てしまったのでビール片手にってわけにはいかなくなったけど。


結果は直接コントロールできない
長い間更新をサボっていました。新しく始めた仕事のペースをつかむ
ことにすこし力を使ってしまいました。

ひと月ほど前の7月9日、昨年出版した本を題材とた講演会を開催す
る機会を貰いました。以前から参加している月一勉強会での講演です。
聴きに来てくれた10名ほどを前に予定を大幅に超え4時間しゃべり
ました。でもまだ言い足りない。

テーマは「ちゃんとした現場づくり」です。参加されている方々の中
には自分で会社を経営されている方が何人もいらっしゃいます。冒頭
彼らに「あなたの会社はちゃんとしていますか」と質問を投げかけま
した。

答えは「本来の目的である雇用の創出と納税が進んでいないのでちゃ
んとしているとはいえない」などと自省を含んだものばかりでした。

でも「売上げが伸びた」とか「利益が増えた」「目標とした不良率が
達成できた」などはすべて活動してきた結果としてもたらされたもの
でしょう。直接「売上げを伸ばす」ことは実はできません。自分で買
って売上げにするのなら別ですが。

目標としているものはすべて結果です。でも結果はもたらされるので
あって、我々が実行できるのはその目標に向けた活動でしかありませ
ん。望む結果がもたらされるようそのプロセスをデザインし全力でお
しすすめる。でも結果が希望通りかどうか、それは終わってみないと
わかりません。

すべては結果責任。どんなに努力しても結果が目標に届かなければ責
任を取る。それはそれでいいでしょう。でも結果を直接左右すること
はできないんです。

もう結果がでちゃったのに「あと何億円上積みしてこい」などという
ばかげた経営者がいるのです。結果がでる前に手を打たなかったのは
打つ手がなかったのです。無策を棚に上げて責任だけ押し付ける。
杭を打ったけど地盤に届かなかった。工期は遅らせられない。でも打
つ手は用意していない。

講演で主題にしたのはこの部分です。希望する結果に向けてどのよう
なプロセスをデザインするのか。そのプロセスは着実に進捗している
のか。もし進みが悪かったらどうするのか。このリカバリープランも
含めたプロセス設計と遵守することが最善の結果をもたらすはずです。
最善の結果が目標に届こうとも至らずとも、それは受け容れざるを得
ません。その結果が最善なんだから。

今回のオリンピックを見ていてつくづくそう感じました。準決勝で負
けて3位決定戦に勝つ。これは負けたくないという気持ちを払拭して
最善を尽くすことに集中できた人たちにもたらされた結果でしょう。
きっと「負けたくない」ではなく「やりきろう」が勝っていれば準決
勝でも勝てたように思います。

欧米の選手はこの点、結果は神がもたらしてくれる。自分は最善を尽
くし神の御心を受け容れる。そんな精神構造が根付いているのかも知
れません。ボルト選手だってスタート前に十字を切ってお祈りしてい
ます。結果を与えてくれるのは神で、自分はそれに向かって力を出し
切る。これが強さの根幹のように思います。

結果を想像してやり方を考えるなんて愚の骨頂です。成功がもたらさ
れることに向かってプロセスをデザインし力いっぱい前進する。途中
に設けたチェックポイントで満足のゆく位置にいなかったときのリカ
バリーもプロセスのひとつとして組み込むことも忘れずに。

それが「ちゃんとする」ということだと思います。
そんな講演会をやりました。